福沢諭吉「学問のすゝめ」に学ぶ勉強論

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こんばんわトムです。

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勉強するということはどういうことなのか。

「福沢諭吉」という100年以上前に生きた人物が書いた「学問のススメ」

資本主義国家日本国の最上位札1万円の人物。その意味は深いものがあるのかもしれないね。

福沢諭吉はおそらく日本で一番知名度がある歴史上の人物かもしれない。

しかしながら、「脱亜論」だったり「学問のすゝめ」「西洋事情」「文明論之概略」「福翁自伝」なんかは聞いたことはあるが、内容は知らない。

なんて人の方が多いでしょう。たぶん日本史では全部必須。

長いので、初めの方だけ紹介するが、100年前に思われていることが、現在でもぐぅの音が出ない程にしみてしまう。

ネットワーク上の、建前の無い「本音だけ」で繰り広げられる社会においてよく聞く内容なんだよな。

本音で話せないけど、腹の中では実はそう思っている。

そんな内容だと思います。ではいきましょう。

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天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。

されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。

その次第はなはだ明らかなり。

『実語教』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。

また世の中にむずかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむずかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。

すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役りきえきはやすし。

ゆえに医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、あまたの奉公人を召し使う大百姓などは、身分重くして貴き者と言うべし。

 身分重くして貴ければおのずからその家も富んで、下々しもじもの者より見れば及ぶべからざるようなれども、その本もとを尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによりてその相違もできたるのみにて、天より定めたる約束にあらず。

諺にいわく、「天は富貴を人に与えずして、これをその人の働きに与うるものなり」と。

されば前にも言えるとおり、人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。

ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。

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人は平等である」と言われている。

というのはつまり、我々は皆同じ人であり、生まれながらにして身分の上下が無く、貧富の差がなく、万物の霊長である人として身体と心を使って、自然にある多くの物を使用し、それによって衣食住を満たして、自由に、他人の権利を妨げず、各々が平和に過ごしていけるということである。(約適当)

しかしながら、広く周りを見渡して分析してみると、賢い人もいれば愚かな人もいて、貧富の差があり、身分の上下がある。こうした雲泥の差が生まれてしまうのはなぜなのだろうか。

その理由ははっきりしている。

「実語教」(という本)には「人は学ばなければ智は無く、智の無い者は愚かである」と書かれている。すなわち、賢い人と愚かな人の差は、学んだか学ばなかったのかの差ということになる。

また世の中には、難しい仕事もあれば簡単な仕事もある。その難しい仕事をする人の地位は重く、簡単な仕事をする人の地位は軽い。

心をつかって行動しないといけない仕事は難しく、手足を使ってする仕事は簡単である。

故に、医者や学者、政府の役人、大きな商売をする町人、たくさんの奉公人をもつ大きな農家などは、地位が高く重要である。

地位が高く重要な者であれば、その者の家も豊かになり、地位の低いものから見ても到底及ばないように見える。しかしながら、その大元をたどれば、その者に学問の知識があるか、ないかによってその差が生まれているのであり、天が生まれつきに定めたものではない。

ことわざにも「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」とある。

つまり人は生まれながらに貴賤も貧富の差は無い。

ただし、学問をしっかり修めて、物事をよく知る人は、地位の高い者であり、裕福な人で、そうでないものは地位が低く貧しいのである。

こんな感じです。

全てに賛同出来る訳ではないし、身分の差が大きいこの時代によくこんな思想になるよなーって思うけども、

言いたいことはわかるでしょう。しっかり学べば誰でも重要な人間になれる。

特に現代社会。

約97%の子供が高校に進学する時代で

経済的に弱い過程でも、

国立大学に行けば比較的お金をかけずに大卒という地位を手に入れることができる。

逆転は可能であるということだ。

彼の時代、これが書かれた時代は「明治維新」の直後。この時代に最下層の人間が上を目指すなんて無理でしょう。

教育の制度がある程度浸透してきたのでさえ数十年後の話だしね。

この時代に生まれ、今当たり前のようにスマホやPCでこういったサイトを見れている君。

学ぶ故に富貴あり。

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